何だかんだ言っても、やっぱり。
あの"衝撃の事実"から数週間後――その日、ドクター・キリコはブラック・ジャックの家に来ていた。
少し前にブラック・ジャックから"某医学書、持ってないか?"と電話で尋ねられ"持っている"と返した所、
"見たいので都合のいい時に持って来てくれ"と言われたので、こうして訪ねて来たのだが…実の所、キリコは少々憂鬱気味だった。
(はぁ…気が重い…)
"あの日"以来、キリコの中でブラック・ジャックの立ち位置は完全に変わってしまい…"商売敵"から"恋愛対象"として
意識する様になってしまったので…ぶっちゃけ顔を合わせ辛いのである。
(――何でこの歳になって、思春期の様な恋愛をする羽目になったかねぇ…?)
内心でごちるが…なってしまった物は仕方がないし、手許の医学書を渡さない事には帰れないので、キリコは
目の前の家のベルを鳴らした。
ベルを鳴らし…暫くしてドアが開くと、今ではすっかり顔馴染となった少女-ピノコ-が出迎えてくれた。
「あれぇ、ロクターだ――こんにちわ。」
「やあ、お嬢ちゃん――先生は居るかい?」
目を真ん丸にしているピノコに、キリコがそう言うと…ピノコは"どうぞ"と迎え入れてくれたので、その頭を撫でてやると
"ニコッ"と笑ってくれたので、こちらの気持ちも少しだけ晴れる。
家主が居るであろう奥の診察室へと向かい…ドアをノックすると、少し間が開いて声が聞こえた。
『――はい?』
「ブラック・ジャック、俺だ――言ってた本、持ってきたぞ」
『あぁ――入ってきていいぞ。』
そう言われたので、キリコはドアを開けたのだが…目にしたブラック・ジャックの姿に固まってしまった。
「おい、キリコ?」
"お前さん、何固まってるんだ"と言われて、我に返ったキリコは持ってきた医学書を渡すと…ブラック・ジャックは
"すまない"と一言言って医学書を受け取った。
「悪かったな――少しばかり立て込んでて取りに行けそうになかったんだ。」
「あ、ああ…そうだったのか。」
少しだけすまなさそうな顔でブラック・ジャックがそう言うと、キリコは差し障りのない答えを返したが…実際は
それ所ではなかった――そんなキリコの様子に、ブラック・ジャックは首を傾げたが…彼の視線の先が
"ある一点"に集中しているのに気付き、"ニヤリ"と笑った。
「何だ――私が"女の格好"をしているのが可笑しいのかい、キリコ先生?」
「――――?!!?!」
意地悪く言われた一言にキリコの心臓は"ドキーッ!!"と跳ね上がった――そう、今のブラック・ジャックの格好はと言うと
上は普段と何ら変わりはなかったが…下は何時ものスラックスではなく、タイトスカートを着ていたのだ。
「前にも言っただろう――"開業当初は女の格好をしていた"って。」
"はぁ"と溜息を吐いてブラック・ジャックが"もう忘れたのか?"と言わんばかりの表情で言うと、キリコは"う…"と
言葉を詰まらせたが…決まりが悪い表情でこう言った。
「…お前さんの事だから、てっきりパンツスーツの方だと思ってたんだよ。」
その一言にブラック・ジャックは"ああ、成程"と納得した――まぁ、確かに…男装時の自分しか知らないこの男に
してみれば普段からスラックスだと思っていたのだろうが、しかし――。
「――そんなに驚く事かねぇ…?」
「いや――普通に驚くだろ。」
ブラック・ジャックの呟きにキリコが即効で切り返すと、ブラック・ジャックは"え?"と目を瞬かせる――着たきり雀が
服装を変えれば、誰だって驚く。ましてや自分は――
「俺は普段の服装のお前しか知らないんだ、驚いて当然だろう。」
「――あ、そうだった。」
キリコの一言にブラック・ジャックは"ポン"と手を打った――そのリアクションにキリコは"ガクッ"と崩れ落ちそうになった。
「――おいおい、忘れるなよ…。」
「悪い、考えてみれば――お前さんと遭遇したのは、仕事先だけだった事を忘れてたよ。」
呆れるキリコにブラック・ジャックは言う――家ではピノコからのリクエストで出来るだけ女の格好しているが、目の前の男に
遭遇した時は、全て仕事先――即ち男装時だった事をすっかり忘れていた。
"お前さんと初めて会った時は、もう男装してたからな"と一言呟いて、医学書を開いたブラック・ジャックに、キリコは気になって
いた事を尋ねた。
「そう言えば――今日は何でまた女の格好なのよ?」
「ああ…ちょっとばかし友人と会ってきたんでな。」
話を要約すると――ブラック・ジャックの学生時代の友人が"少し患者について意見交換をしたい"と連絡があり…
"昔馴染なので別に男装しなくてもいいや"と外出し…帰ってカルテ整理をしていた所に自分が来た――との事。
「珍しいね――お前さんがセカンド・オピニオンをするなんて。」
「…色々と世話になってる分、断れなくてな。」
ブラック・ジャックのその一言に、キリコは"成程"と思った――あの口調から恐らくその友人に"表のオペ"絡みで
かなり世話になっているのだろう。
(――コイツ、意外と義理堅い所があるからなぁ…)
常に高圧的な態度と高額の報酬を請求する為、色々と嫌われているブラック・ジャックだが――その実…義理堅く
受けた恩はどんな事をしても返すと言う事を聞いた事がある。以前…無実の罪から救ってくれた人を助ける為、
とんでもない無茶をやらかしたと嘘の様な噂が流れた。
そんな事を思いながら、キリコは出された珈琲を啜り…医学書を開いているブラック・ジャックを見つめる。
――前に見た時も思ったが…傷跡を差し引けば本当に美人だ…いや、傷跡を差し引かなくても十分に美人だが。
睫はマスカラいらずだし、唇もぽてっとしていて何処か色っぽい。今日は胸を潰していない様で柔らかな曲線を描いている。
タイトスカートから覗く足は黒のストッキングに包まれている…っておい!!
(――ちょ、ちょっと待て?!)
そこまで見つめてキリコは含んでいた珈琲を吹きそうになった――何故かと言うと…。
(な、何で…お前さん、"ガーター・ストッキング"なんか履いてんだ!?!)
そう――タイトスカートから微かに覗いていたのはブラック・ジャックらしくない、余りにも色気のあるガーター・ストッキングの
太腿部のレース部分と艶かしい肌だった。
何で普通のストッキングじゃなくて、ガーターの方を履いているのかと言うと…ブラック・ジャック曰く――。
"まとわりつく事がないし、着脱が楽だから"と言う何とも単純な理由からだが…そんな事を知らないキリコは思いっ切り
動揺するのと同時に"暴きたい"と衝動に駆られた。
(お、おい!頼むから反応しないでくれ…!!)
"ゾワっ"と背中に走った感覚にキリコは"拙い"と感じた――そりゃそうだ。幾ら好いている相手とは言えど…自分は未だ
何にも彼女に言って無いし、そんな事をすれば…間違いなく嫌われる所か、確実に…。
(――メスが飛んでくるか、殺されるかのどっちかだよな…間違いなく。)
"うっかりやらかした場合"の自分の末路がありありと脳裏に浮かび…先程とは別の意味で背中に走った感覚に、キリコは
青褪めながらすっかり冷めてしまった珈琲を含んだ。
一方――一頻り医学書に目を通し終えたブラック・ジャックは、先程からテンパった状態のキリコを見ながら首を傾げていた。
(…キリコ、お前さん――何百面相をしているんだ…?)
普段のキリコらしくない様子に、ブラック・ジャックは内心でそう思う――まあ…自分が女の格好をしているので驚いていたのは
見て取れていたが…どうにも今の様子は別の事で動揺している様に見えた。
(――でも…こうして見ると、見た目は悪くないんだよな…コイツ)
先程まで"ジッ"と自分を見つめていた様にブラック・ジャックもキリコの顔を見てそう思う――眼帯と痩けた頬の所為で
少々怖い印象だが…基本的に見目は良い方だと思う。表情も自分と比べれば豊かな方だし、フェミニストだから
その気になれば引く手は数多だろうに…。
(…どうして私に"女"を見るかねぇ、お前さんは)
そんな事を思いながら、ブラック・ジャックも冷めた珈琲に手を伸ばした――"女だから"と気を遣われるのは、実の所…
余り好きではない。それなのに目の前にいる死神は、"あの日"以来…仕事先で遭遇した時も、常に"女"として
扱ってくるので不快にも思うが、適度に距離を保ってくれるのでそこはありがたく思うのと同時に"何で?"と思う。
(――こんなツギハギだらけの女に気を遣わんでも…。)
端から聞けば自虐とも言える事を内心で呟いて、ブラック・ジャックは再び医学書に目を通し始めた。
結局――日が暮れるまでの間、ブラック・ジャック邸に滞在してしまったキリコは"夕飯を食べていけ"と言う
ブラック・ジャックとピノコの誘いを断りきれず相伴する事になったが…帰り際、ピノコに自身の恋心を指摘されて
慌てふためく事になるのはまだ知らない。
End?
オマケ(と言う名の会話文)。
「じゃあ、お嬢ちゃん――御馳走様でした。」
「うん。ロクターまた来てね。」
「機会があればまた来るよ。」
「あ、ロクター――ちょっと待って」
「何だい?」
「ロクター、ちぇんちぇの事、すきでしょ?」
「――??!?!??」
「――ちょっと待って、お嬢ちゃん。」
「ん、なぁに?」
「おっちゃん、そんなに分かりやすかった?」
「うん、分かりやすかったのさ!」
「――そ、そうか…」
「れも、ロクター…。」
「ん?」
「――ちぇんちぇ、ニブチンらから大変らよ?」
「…そうだね、頑張るよ…。」
End.