嗚呼、神様――一体どうしろと!?
「――どーしたの?その形は」
「…雨に降られた。」
雨の日――突然鳴ったチャイムにキリコが出てみると、そこに居たのはズブ濡れになったブラック・ジャック――思わず
間の抜けた声で尋ねてみると非常にバツの悪い声色で答えが返って来た。取り敢えず…濡れたまま放って置くのも
アレなので"ちょっと待ってろ"と一言言ってキリコは急いでタオルを取りに行った。
「取り敢えず…このままじゃ冷えるから、風呂入る?」
「――すまん、そうさせてもらう。」
持ってきたタオルをブラック・ジャックの頭に被せたキリコがそう言うと、ブラック・ジャックは暫し考えたが…確かにこのままじゃ
体が冷えていく一方なので、キリコの提案を受ける事にした。
「――よし、それじゃ…と。」
「え――う、うわ?!!」
そんなキリコの声と共に――自身の鞄から何かを取り出していたブラック・ジャックは、急にタオルに包まれオマケに担ぎ上げられた
ものだから素っ頓狂な声を上げた。
「お、おい!キリコ、下ろせ!!」
「何言ってるの――その形で歩いたら、廊下水浸しになるでしょうが。」
ジタバタと暴れるブラック・ジャックにキリコがそう言えば、当のブラック・ジャックは"うっ…"と言葉を詰まらせ暴れるのを止め、
それを見てキリコは急ぎ足で浴室に向かった――余計な事を考えない様にして。
"ちゃんと温まる様に"とブラック・ジャックにキッチリ釘を刺し…浴室を後にし居間に戻ったキリコは"フー"と溜息を吐いた。
(やっぱり、"おんな"――なんだよなぁ…。)
掌を見ながら本当にそう思う――何だかんだ言ってもやっぱり奴は"おんな"なのだ。普通の"女"の柔らかさとは少し縁遠いが
"男"である自分と比べれば、何百倍も柔くて細いし…性格に至っても男顔負けの凄まじいと言わんばかりの悪どさがあるし…
ぶっちゃけた話、"可愛い"とは程遠いのだが――。
(…まあ――あんな性格でも、好きなんだけどな。)
"俺もヤキが回ったもんだねぇ"と内心でゴチて、キリコは珈琲を入れる為…キッチンへと向かった。
数十分後――風呂から上がり…リビングに姿を現したブラック・ジャックに、キリコは目を見開いた。
「あのさ、ブラック・ジャック――一つ聞いても良いか…?」
「何だ?」
きょとりと目を瞬かせるブラック・ジャックに、キリコは一呼吸置いて切り出した。
「俺さ、細身のズボン置いといたよな――どーしたのよ…?」
「…ずり落ちた。」
その一言に"ガクッ"とキリコは崩れ落ちた――どうやら話を聞くと…ズボンを履いてみると裾が長かったので折り曲げ…ベルトで
ウエストを絞った迄は良かったのだが…限界までベルトを絞ってもずり落ちるので諦めて代わりに、シャツのウエストをベルトで
絞ってワンピースみたいにしたとの事。
「私も何とか頑張ったんだが…。」
「うん――わかった、わかったから…。」
気まずそうに言うブラック・ジャックに、キリコは"もう言わなくていい"と制し…"取り敢えず、珈琲持ってくるから"――と言って
キリコは足早にキッチンへと向かった。
(――あ、危なかった…!!)
キッチンへ辿り着いたキリコは本気でそう思った――俗に言う"彼シャツ"が此処まで威力があるものだとは思わなかった。
"もしあのまま理性の糸が切れていたら"と思うと、ゾッとする――信頼を失う以前に…様々な意味合いで軽蔑される事、
間違いなしだし…最悪、仕返しで内頸動脈(カロティス)をメスでざっくりとやられるかもしれない。
それ位彼女は性的な事には潔癖だった。
(…拷問だよな、これ。)
盛大な溜息を吐いたキリコだったが…余り遅くなると怪しまれるので、出来るだけゆっくりでも急いで2人分の珈琲を入れて
リビングに戻った。
「――ほら。」
「ん。」
リビングに戻り――椅子に座っているブラック・ジャックに珈琲を手渡せば、素直に受け取って口を付ける。それを見てキリコも
自分の分の珈琲を啜っていく。
「あ、そう言えば――思い出したけど…お嬢ちゃんに連絡しなくて良いのか?」
「ん、ああ――今日はピノコは幼稚園の行事で留守なんだ。」
「…それで電話しないのね。」
何時もなら甲斐甲斐しくと言わんばかりに電話をしているのに、未だに電話をしていない事をキリコが指摘すると…
ブラック・ジャックからそう答えが返ってきて、キリコが"成程"と納得するのと同時に会話が途切れる。
普段の2人なら多少なりとも同業者故の会話があるものだが――どういう事か…この時ばかりは全く会話がなく、非常に
気不味い雰囲気になっていた。
(――く、空気が重いっ…!!)
余りの空気の重さにキリコが心の中で冷や汗を流していると、"寂しくないのか"と聞こえて思わず間抜けな声を上げてしまった。
「へ?」
「何だ、聞こえなかったのか?"この家に独りで寂しくないのか?"と聞いたんだ。」
間の抜けた声を上げたキリコに、ブラック・ジャックが再び問い掛けると…キリコは暫し考え込んだ。
――最初、この家に越して来た時は…確かに寂しいと感じる事はあったが…年数が経つ内にそんな感情は薄れて消えてしまった。
「――独りで居るのには、もう慣れたからなぁ…そう言う、お前さんはどーなのよ?」
そう問い返すと、ブラック・ジャックの口から驚く言葉が零れおちた。
「私か?――そうだな…私は寂しいよ、今の家に居てもこういう日は寂しくて堪らない。」
"況してや、こんな広い家だと余計に"とブラック・ジャックは言い…それを聞いてキリコは驚いた――自分以上に孤独を
愛してやまない天才外科医が"寂しい"と思っている。しかもこんな雨の日は余計にそう思うという事に。
「――驚いたな…お前さんの事だから、てっきり"寂しい"なんて思う訳無いと思ってたよ。」
「…私も人間だ、人並みに感情はあるさ。」
驚いた様子のキリコに、ブラック・ジャックがそう言えば――"それもそうだな"とキリコが言えば、ブラック・ジャックは"くす"と笑い…
それを見たキリコはブラック・ジャックを抱き締めた。
「ぅわ!き、キリコ?!?!」
「ねえ、先生――俺が先生の事"好き"って言ったらどうする?」
驚きの余り藻掻くブラック・ジャックに、キリコがそう言えば…ブラック・ジャックは顔を上げ"冗談は止せ"と言おうとしたが…
どう見ても冗談ではないキリコの表情にその言葉を飲み込んだ。
「…本気か?」
「ああ、本気。」
"信じられない"と言わんばかりの顔でブラック・ジャックが言えば、キリコはそう言って更に真剣な顔で見つめてくる。
多少の居心地の悪さを感じながらもブラック・ジャックはこう言った。
「…ツギハギだぞ。」
「――うん。」
「…性格かわいくないし。」
「知ってる。」
「それに――もし結婚したとしても、子供は…」
「――それでも、俺は先生がいいよ。」
――そんな風に言われてしまったら、もうどうしようもなかった。
「…これから、よろしく。」
「――っ、先生!」
その答えを聞いて、キリコはブラック・ジャックを思いっ切り抱き締めた。
――死神の恋は、色々あったが…どうやら大輪の花を咲かせ、実を結んだ様である。
End.
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